久石譲&宮崎駿フォーラム
各氏プロフィール
久石譲プロフィール Joe Hisaishi's Profile ▲もどる

1950年12月6日、長野県中野市に生まれる。本名は藤澤 守。国立音楽大学在学中から現代音楽の作曲家として活動を始める。「久石譲(ひさいしじょう)」という名前は本名ではない。彼が在学中の頃、やはりそれなりの名前が必要ということで友人と話し合った結果、久石がそのころ好きだったクインシー・ジョーンズからとったもの(久石[クインシー] 譲[ジョーンズ])である。

彼の音楽スタイルはミニマルミュージックといわれる、同じメロディーがいろいろな形を変えて延々と演奏されるというものであるが、はじめの頃は曲の人気はさっぱりであった。某デパートの為に作った曲が収められている「INFORMATION」は1982年のファースト・ソロアルバム(「MKWAJU」は1981年であるが・・・)。まだこのころはかなりマイナーである。

決定的に彼の地位を押し上げた出来事。それは言うまでもなく宮崎駿作品「風の谷のナウシカ」(1984年)。当初、「風の谷のナウシカ」のイメージアルバムの作曲者はすでに別の有名な人に決まっていたらしいが、宮崎監督そして高畑さんの強い押しで久石譲に決定した。当時そこまで有名ではなかった久石がこのことによって一躍脚光を浴びることになる。まさに運命的である。

宮崎作品では「天空の城ラピュタ」(1986年)位までがミニマル色の強い音楽形態である。それ以後、その色は少しずつ薄くなってきている。本人曰く、ミニマルミュージックという下積みがあったからこそ今の自分があるそうだ。コンサートでは度々「MKWAJU」から演奏されているから、やっぱり元々はそういう音楽をやりたかったんだと思う。

「ナウシカ」以後、沢山の映画音楽制作に携わっている。宮崎駿作品が一番多く、そして有名だが、北野武作品や大林宣彦作品にも多く携わっており、その集大成として1997年「WORKS・I」を発表した。また、数々のCM・TV・アーティストへの作曲を手がけ、意外なところで演奏されていたりする。

1991年にソロアルバム「I am」をリリース、この年に初コンサートツアーを行った。1992年より3年連続で日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞、1997年にはベネチア国際映画祭で北野武作品「HANA-BI」が金獅子賞(グランプリ)を獲得、1998年には1997年年度芸術選奨<大衆芸能>新人賞を受賞するなど、知名度もかなり高くなってきた。

1998年長野パラリンピック冬季競技大会では総合プロデューサーとして活躍され、新しい分野への挑戦・常に自分を変わり続けさせようという意志があるようだ。「50歳になったら自分の作りたい曲だけを作る」、と一種の引退宣言をしているが、これからどうなるかは誰も知らない。


(文責:nez、1998年10月4日、22日改訂)

宮崎駿プロフィール Hayao Miyazaki's Profile ▲もどる

1941年1月5日、東京都墨田区で生まれる。飛行機会社の役員だった父親や、戦記好きの長兄の影響下、読書や漫画を書いて幼年期を過ごす。

1963年に学習院大学政経学部を卒業(在学中、児童文学研究学会所属)。同年、東映動画に入社。高畑勲との親交を深めていた彼は「太陽の王子 ホルスの大冒険」の制作スタッフの一人として携わるが、興行的には失敗し退職。(他の主な作品「長靴をはいた猫」「どうぶつ宝島」アイディア構成・原画)

1971年Aプロダクションに移籍する。「ルパン三世」の演出を担当し、「パンダコパンダ」では脚本・場面・設計・レイアウト・原画を担当する。

1973年ズイヨー映像(後、日本アニメ)へ。全話全カットのレイアウトという超人的仕事をこなした「アルプスの少女ハイジ」は海外でも放映され人気を博した。(「母をたずねて三千里」でも場面設定・レイアウトを担当)

宮崎が初めて監督したテレビシリーズ「未来少年コナン」(1978年)の演出で注目を集める。1979年テレコムアニメーションフィルム作品「ルパン三世 カリオストロの城」では初の映画監督に就任、原作を越えるおもしろさを演出する。(1982年「シャーロック・ホームズ」演出)

1984年に大ヒットした「風の谷のナウシカ」から、宮崎ファンがどっと増えたことは言うまでもない。月刊アニメージュに連載中だった同名漫画を映画化したもので、見事に社会問題を織り込み、大反響を呼んだ。まさに「宮崎アニメ」の原点とも言える作品であるが、宮崎本人のこの作品に対する評価は低い。

その後、「天空の城ラピュタ」(1986年)で「スタジオジブリ」(ジブリ−サハラ砂漠に吹く熱帯の風を意味する「ギブリ」から。宮崎駿の読み間違いがそのまま使われることに。)を創設し、「となりのトトロ」(1988年)「魔女の宅急便」(1989年)「紅の豚」(1992年)と続々と素晴らしい映画を制作。「紅の豚」は特にそうだが飛行機マニアの彼の趣味がふんだんに映画に反映されている(^^;
なお、トトロのキャラクターはジブリのシンボルキャラクターとなっている(*^^*)

1997年に宮崎の総決算的に制作・公開された「もののけ姫」では邦画史上初の観客動員数1000万人を突破、ディズニーとの提携により海外でも上映されることに。あちらでの評価はどうなることか。一時引退説が流れたがしようと思ってもなかなか出来ませんね、実際は・・・(^^;

次回作はSFものになるとか言われているが、なんにしてもこれからも素晴らしい作品を作り続けて欲しいものである。

(文責:NANA & nez、1998年10月20日、2003年12月27日改訂)


(間違っているところがあるかもしれません。どうかお教え下さい^^;)